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最高裁判所第一小法廷 昭和57年(あ)1153号 判決 1983年9月29日

主文

本件上告を棄却する。

理由

検察官の上告趣意について

所論のうち、最高裁判所の判例違反をいう点は、所論引用の各決定は、いずれも、上告趣意が刑訴法四〇五条の上告理由にあたらないとして上告を棄却したものにすぎず、所論の罪数関係につき法律判断を示しているものとは認められないから、同条二号の判例にあたらない。高等裁判所の判例違反をいう点のうち、所論引用の大阪高裁昭和五〇年(う)第一五一三号同五一年三月一六日判決・最高裁刑事裁判資料二二二号麻薬・覚せい剤等刑事裁判例集三〇八頁は、覚せい剤取締法四一条、一三条の輸入罪(以下、覚せい剤輸入罪という。)と関税法一一〇条の関税逋脱罪との罪数関係について判断を示したものであるから、本件とは事案を異にし適切でない。所論引用のその余の高等裁判所の各判例(東京高裁昭和五二年(う)第一五四号同年六月八日判決・東京高検速報二二四一号、東京高裁昭和五二年(う)第三一六号同年六月六日判決・前掲刑事裁判資料二二二号三一三頁、東京高裁昭和五三年(う)第一九七七号同年一二月一一日判決・東京高検速報二三二二号、東京高裁昭和五三年(う)第二六一九号等同五四年五月二八日判決・高刑集三二巻二号一三八頁、東京高裁昭和五四年(う)第一七二四号同年一一月一九日判決・刑事裁判月報一一巻一一号一三六七頁、福岡高裁昭和五五年(う)第二二九号同年七月一日判決・刑事裁判月報一二巻七号五一一頁)は、いずれも、保税地域、税関空港等外国貨物に対する税関の実力的管理支配が及んでいる地域に、外国から船舶又は航空機により覚せい剤を持ち込み、これを携帯していわゆる通関線を突破し又は突破しようとした場合につき、覚せい剤輸入罪と関税法一一一条一項の無許可輸入罪又は同条二項の無許可輸入未遂罪との関係を併合罪としたものであるところ、原判決は、右と同様の場合につき覚せい剤輸入罪と無許可輸入未遂罪とは観念的競合の関係にあるとしたものであるから、右各判例と相反する判断をしたものといわなければならない。

ところで、右のような場合において、無許可輸入罪の既遂時期は、覚せい剤を携帯して通関線を突破した時であると解されるが、覚せい剤輸入罪は、これと異なり、覚せい剤を船舶から保税地域に陸揚げし、あるいは税関空港に着陸した航空機から覚せい剤を取りおろすことによつて既遂に達するものと解するのが相当である。けだし、関税法と覚せい剤取締法とでは、外国からわが国に持ち込まれる覚せい剤に対する規制の趣旨・目的を異にし、覚せい剤取締法は、覚せい剤の濫用による保健衛生上の危害を防止するため必要な取締を行うことを目的とするものであるところ(同法一条参照)、右危害発生の危険性は、右陸揚げあるいは取りおろしによりすでに生じており、通関線の内か外かは、同法の取締の趣旨・目的からはとくに重要な意味をもつものではないと解されるからである。

そこで、進んで覚せい剤輸入罪と無許可輸入罪(未遂罪を含む。)との罪数関係について考えるに、右のように、保税地域、税関空港等税関の実力的管理支配が及んでいる地域を経由する場合、両罪はその既遂時期を異にするけれども、外国から船舶又は航空機によつて覚せい剤を右地域に持ち込み、これを携帯して通関線を突破しようとする行為者の一連の動態は、法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとにおいては、社会的見解上一個の覚せい剤輸入行為と評価すべきものであり(最高裁昭和四六年(あ)第一五九〇号、同四七年(あ)第一八九六号、同年(あ)第七二五号同四九年五月二九日各大法廷判決・刑集二八巻四号一一四頁、一五一頁、一六八頁、同五〇年(あ)第一五号同五一年九月二二日大法廷判決・刑集三〇巻八号一六四〇頁参照)、それが両罪に同時に該当するのであるから、両罪は刑法五四条一項前段の観念的競合の関係にあると解するのが相当である。よつて、刑訴法四一〇条二項により、原判決と相反する所論引用の各高裁判例を変更し、原判決を維持することとする。したがつて、所論は、原判決破棄の理由にはならない。

弁護人戸田勝、同木下準一の上告趣意について

所論は、違憲をいう点を含め、実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四〇八条により主文のとおり判決する。

この判決は、検察官の上告趣意について、裁判官谷口正孝の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官谷口正孝の反対意見は、次のとおりである。

一刑法五四条一項前段にいわゆる一個の行為とは、「法的評価をはなれ、構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものとの評価を受ける場合をいう」と解するのが最高裁判所大法廷判例の示すところである(最高裁判所昭和四九年五月二九日判決・刑集二八巻四号一一四頁、同五一年九月二二日判決・刑集三〇巻八号一六四〇頁等)。しかし、私は、この見解に従うことには躊躇を感ずる。

「行為論は、性質上、自然的観察や社会的見解になじむ」ものであつて、行為が構成要件的評価の対象となる事実であることは、右五一年九月二二日判決における団藤裁判官の補足意見に示すとおりである。そして、行為論における行為が、「法的評価をはなれ、構成要件的観点を捨象した」自然的観察や社会的見解上のものであることは、正にそのとおりであろう。しかし、行為論における行為を右のように理解したからといつて、刑法五四条一項前段にいわゆる一個の行為が数個の罪名に触れるという場合の一個の行為の意味を、これと同一に理解しなければならないということにはならない。後者のばあいには、数個の罪名に触れるかどうかという判断をするに当たり、構成要件的評価を捨象して行為を考えることは不可能である。すなわち、ここでは、問われている構成要件的評価の対象となる行為の枠を考えずに、一個・同一の行為かどうかの判断はできないはずである。自然的、社会的見解のもとで一個の行為として意味づけられた行為の過程において、ある罪の構成要件的評価の対象となる部分と他の罪の構成要件的評価の対象となる部分とが一個・同一であるばあいに、初めて右五四条一項前段の要件は充たされるのである。私は、前記最高裁判所大法廷判例が、同条項前段の要件を考えるに当たつて、構成要件的評価をも取り外してしまつたことには、とうてい賛成できないのである。

二原判決は、「本件は、被告人らが、約993.4グラムの覚せい剤を隠匿携帯して韓国釜山空港から空路大阪国際空港に到着し、同空港内大阪税関伊丹空港支署旅具検査場を通過しようとして同係官に右覚せい剤を発見されたという事案であつて、被告人らの右一連の動態を構成要件的にみれば、大阪国際空港に到着した時、覚せい剤取締法違反の輸入罪は既遂に達し、以後関税法違反の実行の着手があり未遂に終つたものと評価することができるのであるが、法的評価をはなれ、構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとにおける社会的見解によれば、被告人らの右一連の動態は、明らかに事象を同じくし、税関を無事通過することにより終了する一個の覚せい剤輸入行為として評価することができる。」と判示しているのであつて、原判決は前記最高裁判例に忠実に従おうとしているのである。右判例を前提とするかぎり、「法的評価をはなれ、構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとにおける社会的見解」との基準に照らして被告人のした本件一連の行為(動態)を一個の行為と評価したことは、無理からぬものであつたと私は思う。問われるべきは、むしろ前記最高裁判所判例であつたというべきではなかろうか。

三刑法五四条一項前段の一個の行為にして数個の罪名に触れるかどうかを判断するに当たつて、構成要件的評価を取り外しては考えられないことは、前に述べたとおりである。そこで、以下私のこのような見解に従つて、被告人の本件一連の行為が刑法同条項の要件を充たすかどうかを検討してみる。

私は、覚せい剤取締法上の輸入罪の既遂時期については、覚せい剤を携帯して空路税関空港に到着したという本件の如きばあいには、被告人が搭乗した航空機が税関空港に着陸して人の乗降が開始され被告人がその携帯にかかる覚せい剤を航空機から機外に持ち出した時点にこれを求めるべきである、と考える。この時点において、同法の予定する法益に対する侵害の危険が発生するからである。覚せい剤取締法上の輸入罪の構成要件の評価の対象となる行為は、右の時期までである。

次に、関税法上の無許可輸入罪については、その既遂時期は、保税地域や税関空港等を経由するばあいは、通関線突破の時と解すべきであろうが、その着手時期については問題がある。本件の如きばあい、その着手の時期は、覚せい剤を除外した申告書を税関職員に提出した時と解する見解もあろうが、輸入が禁止されている覚せい剤の如きを法規に違反して不正に輸入しようとする者には、通常正当な通関手続をとる意思はないであろうから、着手の時期を右時点までずらす必要はなく、犯人が通関線を通過すべく旅具検査場に向かつて行動を開始すれば既にその着手があつたと解してよいであろう。関税法上の無許可輸入罪の構成要件の評価の対象となる行為は、右のように解した着手の時点から前記既遂の時期までである。

私の意見によれば、被告人がその携帯にかかる覚せい剤をその搭乗した航空機から機外に持ち出した時点において覚せい剤取締法上の輸入罪は既遂に達し、その後は同罪の構成要件の評価の対象外となり、関税法上の無許可輸入罪は、右の被告人の機外持ち出し後被告人が通関線を通過すべく旅具検査場に向かつて行動を開始した時から通関線通過の時まで同罪の構成要件の評価の対象としているのであるから、両罪の評価の対象となる行為が一個・同一であるとはいい難い。すなわち、本件被告人の行為(動態)は、刑法五四条一項前段の要件を充たすものではなく、併合罪として処理されるべきものである。

四以上の次第であるから、本件のような場合について、覚せい剤取締法上の輸入罪と関税法上の無許可輸入罪との関係を併合罪と解した所論引用の高裁判例は、これを維持すべきものであり、これと相反する原判決は破棄を免れない。

(和田誠一 団藤重光 藤﨑萬里 中村治朗 谷口正孝)

検察官の上告趣意

第一序論

原判決は、覚せい剤取締法一三条、四一条一項一号違反の覚せい剤輸入罪と関税法一一一条二項、一項違反の無許可輸入未遂罪との罪数に関し、最高裁判所ないしは高等裁判所の判例と相反する判断をしたものであつて、それが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないものと思料する。

第一審判決は、罪となるべき事実として、公訴事実のとおり

「被告人は、岡林滋夫、楠本恵美子らと共謀の上、韓国から覚せい剤を密輸入することを企て、

第一 営利の目的をもつて、昭和五六年八月二一日、韓国釜山空港から日本航空九六八便航空機に、フェニルメチルアミノプロパン塩を含有する覚せい剤結晶993.4グラムをキャリーバックの底に隠匿携帯して搭乗し、同日午後三時五〇分ころ、大阪府豊中市螢池西町三丁目五五五番地大阪国際空港に到着して、右覚せい剤を陸揚げし、もつて本邦内に輸入した

第二 同日午後四時二〇分ころ、右大阪国際空港内の大阪税関伊丹空港税関支署旅具検査場において、同支署係員から旅具検査を受けるに当たり、同係員に対し、右覚せい剤を輸入する旨の申告をせず、もつて税関支署長の許可を受けないで、これを輸入しようとしたが、同係員に発見されたためその目的を遂げなかつた

ものである。」

との事実を認定し、各事実につき、それぞれ相当法条を適用した上、両罪は、刑法四五条前段の併合罪の関係にあるとして、被告人を徴役五年の刑に処した。

これに対し、原判決は、弁護人の控訴趣意中「判示第一の覚せい剤取締法の輸入罪と判示第二の関税法の覚せい剤無許可輸入未遂罪とは、最高裁判所昭和四九年五月二九日大法廷判決(刑集二八巻四号一一四頁)にいう『法的評価をはなれ、構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものと評価を受ける場合』にあたるから、刑法五四条一項前段の観念的競合の関係に立つものである。」との主張を認容して「当裁判所も、観念的競合か否かの判断は、所論指摘の最高裁判所昭和四九年五月二九日大法廷判決(刑集二八巻四号一六八頁)〔注、控訴趣意書記載の大法廷判決とは別異の判決〕に掲げる基準によるべきものと考える。これを本件についてみるに、本件は、被告人らが、約993.4グラムの覚せい剤を隠匿携帯して韓国釜山空港から空路大阪国際空港に到着し、同空港内大阪税関伊丹空港支署旅具検査場を通過しようとして同係官に右覚せい剤を発見されたという事実であつて、被告人らの右一連の動態を構成要件的にみれば、大阪国際空港に到着した時、覚せい剤取締法違反の輸入罪は既遂に達し、以後関税法違反の実行の着手があり未遂に終つたものと評価することができるのであるが、法的評価をはなれ、構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとにおける社会的見解によれば、被告人らの右一連の動態は、明らかに事象を同じくし、税関を無事通過することにより終了する一個の覚せい剤輸入行為として評価することができる。そうすると、本件の両罪は観念的競合となるべきものであるから、第一審判決は、これらを併合罪とした点において、法令の解釈を誤つた違法がある。」としながら、この場合の処断刑を比較してみると、「ともに下限は同じで上限との間にはかなりの幅があり、原〔注、第一審〕判決の刑がその下限に近い懲役五年であることにかんがみると、原審が正当な処断刑の範囲を認識していたならば、異なつた刑が言い渡された蓋然性があつたとは考え難いので、右の違法は明らかに判決に影響を及ぼすとは認められず、破棄すべき限りではない。」と判示し、結論においてこの控訴趣意を採用しなかつたものの、結局、弁護人の量刑不当の主張を容れて第一審判決を破棄した上、同判決の認定した前記各事実にそれぞれ相当法条を適用し、「右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い判示第一の罪の刑で処断することとし、情状により所定刑中有期懲役刑及び罰金刑を選択し、」被告人を懲役四年及び罰金二〇万円の刑に処した。

第二上告理由

原判決は、本件における覚せい剤取締法の輸入罪と関税法の無許可輸入未遂罪とが観念的競合の関係に立つ旨判断したが、本件と同種の事案につき、右両罪は併合罪の関係にあるとするのが、最高裁判所の判例であるばかりでなく、累次の高等裁判所判決により判例上確立されているところであるから、原判決は、これらの判例と相反する判断をしたことが明らかである。

一 最高裁判所の判例違反

1 覚せい剤取締法違反の罪と関税法違反の罪との罪数関係についての最高裁判所の判例

(一) 最高裁判所昭和五一年一二月一七日第三小法廷決定(昭和五一年(あ)第六六一号・裁判集刑事二〇二号五五五頁)

本決定は、覚せい剤結晶約219.8グラムを携帯して韓国発の航空機で昭和五〇年九月五日午後三時二八分ころ大阪国際空港に到着して本邦内に持ち込み、午後四時ころ大阪税関伊丹空港税関支署において通関手続の際虚偽の申告をなし覚せい剤に対する関税を免れようとしたが、係員に発見されたという覚せい剤取締法違反(輸入罪)と関税法違反(逋脱未遂罪)の事案に関し、原審の大阪高等裁判所昭和五一年三月一六日判決が「本件関税逋脱の所為は、覚せい剤輸入の罪がわが国に覚せい剤が搬入され既遂となつた後、旅具検査場を出るまでの行為が犯罪行為となるものであつて、双方その既遂の時期を異にし、両者の行為は自然的観察のもとにおける社会的見解上一個のものと評価することはできず、また両者が通常手段結果の関係にあるともいえない。したがつて両者は併合罪の関係にあると解すべきであり、第二の関税逋脱の事実につき二重起訴にならない。」と判示したのに対し、弁護人が、「覚せい剤取締法違反と関税法違反の事実は法律的見解を捨象して自然的観察をした公訴事実としては同一であるから、関税法違反の事実は二重起訴であり、刑訴法第三三八条第三号により公訴棄却をしなかつた一審判決に訴訟手続に法令違反なしとした原審は憲法第三九条に違反する。」旨主張した上告趣意を「実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。」として排斥したものである。この決定は、前記両罪が併合罪であることを明示していないものの、この決定中の「両罪は観念的競合の関係にある。」旨の天野、服部両裁判官の意見と対比すれば、多数意見が覚せい剤取締法の輸入罪と関税法の逋脱未遂罪が併合罪であるとした原判決の判断を支持したことは明らかである。

なお、本決定は、覚せい剤取締法の輸入罪と関税法の無許可輸入未遂罪との関係にかかるものでなく、覚せい剤取締法の輸入罪と関税法の逋脱未遂罪との関係につき判示したものではあるが、本件と全く同種の事案にかかるものであり、かつ、関税法の無許可輸入罪と逋脱罪とは観念的競合と解すべきである(最高裁昭和三三年一〇月二七日第二小法廷決定・刑集一二巻一四号三四一三頁参照)から、本件に適切である。

(二) 最高裁判所昭和五二年一二月二一日第二小法廷決定(昭和五二年(あ)第一二七八号・裁判集刑事二〇八号五四五頁)

本決定は、韓国で入手した覚せい剤、けん銃等を隠匿携帯して空路本邦に到着し、税関を通過する際係員に発見されたという本件と同様の事案に関し、原審の東京高等裁判所昭和五二年六月八日判決(東高裁判速報二二四一号)が、覚せい剤取締法一三条の輸入罪と関税法一一一条一項、二項の無許可輸入未遂罪の関係につき、「覚せい剤の輸入罪は、これらの物を外国から本邦内に搬入する行為が罰せられるものであり、その既遂時期は、本件のように航空機による場合には着陸して外国から本邦内(その場所が保税地域であるかどうかを問わない。)に貨物を搬入したときである(東京高等裁判所昭和五一年(う)第三〇九号・同五二年三月二日判決参照)。そして、〔中略〕関税法による無許可輸入罪は税収入の確得と貨物の不法な輸入を阻止するため税関長の許可なく貨物を輸入する行為が罰せられるものであり、その既遂時期は通関線を突破したときと解すべきであるから、覚せい剤輸入罪と無許可輸入罪は、社会的見解上別個のものと評価され、併合罪の関係に立つものというべきである。」と判示したのに対し、弁護人が、「覚せい剤取締法の輸入行為の既遂時期は、本件のように保税地域を経由する場合は、関税法上の輸入罪における既遂時期と同じく旅具検査場を経て税関の関門を通過したときと解すべきであつて、両罪は観念的競合の関係にある。」旨主張した上告趣意を、「単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。」として排斥したものである。この決定も、両罪が併合罪であることを明示してはいないが、両罪を観念的競合であるとする吉田裁判官の意見が付されているところからすれば、多数意見が、覚せい剤取締法の輸入罪と関税法一一一条一項、二項の無許可輸入未遂罪が併合罪であるとした原判決の判断を支持したことは明白である。

2 原判決が前記各判例と相反する判断をしたこと

右にみたとおり、本件と同種の事案における覚せい剤取締法の輸入罪と関税法の無許可輸入未遂罪との関係は併合罪と解するのが、最高裁判所の確立した判例と言うべきであるが、問題の性質等にかんがみ、以下この見解が維持せられるべきゆえんにつき補説しつつ、原判決が前記各判例と相反する判断をしたことを明らかにする。

原判決は、本件覚せい剤取締法の輸入罪と関税法の無許可未遂罪との罪数を判断するに当たり、前記最高裁判所昭和四九年五月二九日大法廷判決(刑集二八巻四号一六八頁)の「一個の行為とは、法的評価をはなれ、構成要件的観点を捨象した自然的観察のもとで、行為者の動態が社会的見解上一個のものと評価をうける場合をいう。」との基準に従つた上、「被告人らの右一連の動態は、明らかに事象を同じくし、税関を無事通過することにより終了する一個の覚せい剤輸入行為として評価することができる。」と判示し、両罪は観念的競合の関係にあると認定した。しかしながら、原判決の引用にかかる右最高裁判所大法廷判決は、同一の日時場所において、無免許で、かつ、自動車検査証の有効期間が満了した自動車を運転した道路交通法及び道路運送車両法の各違反の罪に関するものであつて、同事件の被告人が自動車を運転するに際し、無免許で、かつ、自動車検査証の有効期間が満了した自動車を運転したことは、車両運転者又は車両の属性にすぎず、行為としては運転行為以外にはないので、自然的観察のもとにおける社会的見解上明らかに一個の車両運転行為であることを観念的競合の根拠とするものであるから、時間的・場所的に行為者の二個の動態の存する本件とは事案を異にし、本件に適切な判例とは言い難い。

むしろ、右大法廷判決の示すところと同一の基準のもとに、酒に酔つた状態で自動車を運転中に過つて人身事故を発生させた場合における道路交通法の酒酔い運転の罪と業務上過失致死罪との罪数関係につき、「自動車を運転する行為は、その形態が、通常、時間的継続と場所的移動とを伴うものであるのに対し、その過程において人身事故を発生させる行為は、運転継続中における一時点一場所における事象であつて、前記の自然的観察からするならば、両者は、酒に酔つた状態で運転したことが事故を惹起した過失の内容をなすものかどうかにかかわりなく、社会的見解上別個のものと評価すべきであつて、これを一個のものとみることはできない。」として、右両罪を併合罪の関係にあるものとした最高裁判所昭和四九年五月二九日大法廷判決(刑集二八巻四号一一四頁)こそが、本件について参考とされるべきものである。けだし、次に述べるとおり、本件の場合における覚せい剤取締法の密輸入罪に該当する行為者の動態と関税法の無許可輸入未遂罪に該当するそれとは、時間的にも場所的にも、相接するとはいえ、決して重なり合つてはおらず、自然的観察のもとにおける社会的見解上別個のものと評価されるべきであるからである。

そもそも、覚せい剤は、覚せい剤取締法一三条によつて輸入が禁止され、かつ、関税定率法上有税品とされ、関税法一一八条三項の輸入制限貨物等として、同法一一一条一項、二項によつて無許可輸入及びその未遂が禁止されることになるが、覚せい剤取締法によつて輸入が禁止される理由は、覚せい剤の濫用による危害を防止しようとする国民の保健衛生上の見地によるものであり(同法一条)、他方、関税法によつて無許可輸入、同未遂が禁止されるのは、関税収入を確保し貨物の不法な輸入を阻止することにより、税関手続の適正な処理を図ろうとするものであつて(同法一条)、両者は、その立法趣旨及び保護法益を異にするものである。それゆえ、両罪における輸入の概念をどうみるかは、両罪の立法趣旨に照らし、合理的に決すべき事柄である。そうすると、国民の保健衛生上の見地からは、覚せい剤が本邦に搬入された時点で、何人かによる覚せい剤の使用、移転等によつて、本邦内で危害の発生する危険性が生ずるのであるから、本邦内に持ち込まれた早い時期にこれを規制する必要があるのであつて、覚せい剤取締法上の輸入は、本邦に到着、陸揚げしたときに既遂となるのであり、他方、関税法の輸入行為は、本邦に到着した覚せい剤を(保税地域を経由するものについては、保税地域を経て)本邦に引き取ることをいい(同法二条一項一号)、いわゆる通関線を通過したときに既遂となると解すべきである(東京高等裁判所昭和五二年三月二日判決・高刑集三〇巻一号一三七頁、後掲二①ないし⑦の各高等裁判所判例参照)。

これを本件についてみれば、被告人が覚せい剤を携帯し、韓国から空路大阪国際空港に到着して陸揚げした時に覚せい剤取締法の輸入罪は既遂に達し、その後、これを持つて同空港内の税関支署旅具検査場に赴き、税関支署長に対し、携帯貨物の輸入申告をするに当たつて覚せい剤の輸入申告をせず、その許可を受けないで右覚せい剤を引き取ろうとしたとき関税法の無許可輸入罪の実行の着手があり、税関職員に発見されたとき未遂に終つたと認められるのである。そうであつてみれば、被告人の覚せい剤取締法の輸入罪に該当する行為と関税法の無許可輸入未遂罪に該当する行為とは、規範的、構成要件的評価を捨象した自然的観察のもとでの行為者の動態としても、社会的見解上全く重なり合うことのない別個のものと評価すべきである。

したがつて、自然的観察のもとで、時間・場所を異にした二個の行為者の動態が存在し、それぞれ別個の構成要件を充足する本件につき、覚せい剤取締法の輸入罪と関税法の無許可輸入未遂罪との関係を観念的競合と解した原判決の判断は、前記1(一)及び(二)の最高裁判所判例に直接相反するばかりでなく、罪数問題についての基本的判例である酒酔い運転罪と業務上過失致死罪との関係についての前記大法廷判決(刑集二八巻四号一一四頁)の趣旨にも抵触するものと言うべきである。

なお、関税法、関税定率法上の輸入禁制品である麻薬の輸入についてすら、最高裁判所判例(最高裁判所昭和四九年一二月二〇日第三小法廷決定・裁判集刑事一九四号四八七頁、最高裁判所昭和五四年三月二七日第一小法廷決定・刑集三三巻二号一四〇頁)は、麻薬取締法の麻薬輸入罪と関税法の禁制品輸入罪(又は無許可輸入罪)との両罪の罪数関係を併合罪としているものと解せられることも参照されなければならない。

二 高等裁判所の判例違反

前記一1(一)及び(二)の各最高裁判所判例は、いずれも覚せい剤取締法違反の罪と関税法違反の罪との罪数関係につき正面から明示の判断を下したものではないので、本件における刑事訴訟法四〇五条二号該当事由の存否につき全く疑義がないわけではない。そこで、仮に百歩を譲り、この点を消極に解するとしても、原判決の覚せい剤取締法の輸入罪と関税法の無許可輸入未遂罪との罪数関係についての判断が、本件と同種の事案における右罪数につき併合罪である旨の明示の判断を示した左記①ないし⑦の各高等裁判所の判例に相反し、同条三号に該当することは明らかである。

① 前掲一1(一)の最高裁判所第三小法廷決定により維持された大阪高等裁判所昭和五一年三月一六日判決(昭和五〇年(う)第一五一三号・最高裁判所刑事裁判資料二二二号=麻薬・覚せい剤刑事裁判例集三〇八頁)

② 前掲一1(二)の最高裁判所第二小法廷決定により維持された東京高等裁判所昭和五二年六月八日判決(昭和五二年(う)第一五四号・東高裁判速報二二四一号)

③ 東京高等裁判所昭和五二年六月六日判決(昭和五二年(う)第三一六号・最高裁判所刑事裁判資料二二二号=麻薬・覚せい剤刑事裁判例集三一三頁)

④ 東京高等裁判所昭和五三年一二月一一日判決(昭和五三年(う)第一九七七号・東高裁判速報二三二二号)

⑤ 東京高等裁判所昭和五四年五月二八日判決(昭和五三年(う)第二六一九〜二六二一号・高刑集三二巻二号一三八頁)

⑥ 東京高等裁判所昭和五四年一一月一九日判決(昭和五四年(う)第一七二四号・刑裁月報一一巻一一号一三六七頁)

⑦ 福岡高等裁判所昭和五五年七月一日判決(昭和五五年(う)第二二九号・刑裁月報一二巻七号五一一頁)

なお、本件に直接適切な右①ないし⑦の各高等裁判所判例のほか、本件における覚せい剤取締法の輸入罪と関税法の無許可輸入未遂罪との関係に事実関係が類似し、かつ、法的性質を同じくする大麻取締法の大麻輸入罪(同法四条一号、二四条二号)と関税法の無許可輸入未遂罪との罪数関係につき、併合罪の関係にあるとした高等裁判所の判例が数多く存在することも、あわせて参照されるべきである(東京高等裁判所昭和五二年三月二日判決・高刑集三〇巻一号一三七頁、東京高等裁判所昭和五二年七月六日判決・東高裁判速報二二四八号、東京高等裁判所昭和五五年三月五日判決・東高裁判速報二四〇六号、東京高等裁判所昭和五六年三月一八日判決・東高裁判速報二四九八号、福岡高等裁判所那覇支部昭和五六年一二月二四日判決・検察資料(二一〇)麻薬・覚せい剤罰則関係執務資料集追録(三)二三頁参照)。

第三結論

以上述べたように、最高裁判所及び高等裁判所の各判例は、覚せい剤取締法の輸入罪は、その立法趣旨に照らし、これが本邦に搬入されたときに既遂に達すると解し、その後に実行の着手があり既遂となる関税法の無許可輸入罪とは別個の行為であつて、右両罪は併合罪の関係にあるとしているのである。それにもかかわらず、原判決は、本件における右両罪を観念的競合と解したのであるから、明らかに前掲各判例と相反する判断をしたものである。もつとも、原判決は、第一審判決の宣告刑が処断刑の下限に近い懲役五年であることにかんがみると、両罪の関係を観念的競合とみるか、併合罪とみるかによつて処断刑に差異があるとしても、そのために明らかに判決に影響を及ぼすとは認められないと判示しているが、認定された罪となるべき事実に対する構成要件的評価を異にし、処断刑に差異を生ずる以上、それが判決に影響を及ぼすことは明らかと言うべきである。のみならず、原判決における判例違反の違法が刑事訴訟法四一〇条一項但し書にいう「判決に影響を及ぼさないことが明らかな場合」に該当しないことは言うまでもないから、原判決は到底破棄を免れない。

よつて、刑事訴訟法四〇五条二号ないしは三号、四一〇条一項本文より、原判決を破棄して相当の裁判をされたく、本件上告に及んだ次第である。

弁護人戸田勝、同木下準一の上告趣意

第一、第一審裁判所は本件について、判決として内部的のみならず外部的にも成立しそれに変更を加えることができなくなつた時点以降に、法令適用の点について、有効に成立した判決どおりの判決原本に加えてならない変更を加えたものであつて、第一審裁判所の右措置は最高裁判所第一小法廷判決昭和五一年一一月四日(刑集三〇巻一〇号一八八七頁)の趣旨に反するものである。

第一審裁判所の判決原本に関する右措置は、後に詳述するとおり、刑事裁判における判決原本についての重大な訴訟手続の法令違反であり、前記最高裁判所判決の趣旨に反するものでもあり、さらにひいては裁判の公正を疑わしめるものとして憲法三一条の法定手続の保障条項にも違反するものと思料する。

原裁判所は、当弁護人の原審に提出した昭和五七年四月二三日付控訴趣意補充書における主張を、文字どおり補充の主張として弁護人の控訴趣意第一の法令適用の誤りの主張についての前提事実をしてのみ判断されたが、弁護人の真意は、後に述べるとおり第一審裁判所の前記違法な措置を弁護人において知り得たのは控訴趣意書提出の最終期限後であつたので、右補充書における主張は已むなく原裁判所の職権発動を求める独立した破棄事由として主張したつもりである。

第一審裁判所の判決原本に関する前記措置は、先に述べたとおり前記最高裁判決の趣旨に反する重大な訴訟手続の法令違反であり、ひいては憲法三一条に違反する措置とも考えられるので、原裁判所としてはこれらの違法を看過することなく、法令適用の誤りについての控訴趣意の前提事実としてでなく、判決に影響を及ぼす重大な訴訟手続の法令違反として独立の破棄事由として判断し、職権で第一審判決を破棄すべきであつたと思料する。しかるに原裁判所はそのような措置に出ることなく、第一審裁判所がその判決原本に加えた訂正は無効なものではないかという疑いは存しつつも、明らかにこれを無効と断ずることなく、結果において第一審裁判所の前記措置を是認するに終つたことは遺憾であり、その点において原判決には、第一審裁判所の判決原本に関する前記措置の法律効果についての判断を誤つた違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるとともに、裁判ないしは裁判所の公正にもかかわりを持つことだけに、これを破棄しなければ著しく正義に反すると考えられるし、さらに先に述べたとおり憲法三一条違反の疑いのある第一審裁判所の前記措置を終局において是認した原判決は、その点において原判決にも憲法三一条違反の疑いがあるともいえるので、原判決の破棄を求める。

右主張の中、第一審裁判所の採つた判決原本の訂正に関する措置の経過と、その法律効果について論説すれば次のとおりである。

一、本件について特異な点は、第一審裁判所が弁護人に交付した判決謄本と検察官に交付した判決謄本とでは、その法令の適用欄の併合罪加重の規定に相違のあることである。すなわち弁護人に交付されたものには「刑法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で」と記載されているところ、検察官に交付されたものは刑法一四条が削除され同法四七条但書が加入されて記載されたものであることは、本件記録に徴し明らかである。このように弁護人と検察官に交付された判決謄本が相違するということは稀有なことであり、それが明らかに誤記と認められる単なる字句の訂正の有無程度であれば問題はないが、本件の場合には刑法総則規定とはいえ、法令適用の正否に関係し処断刑の巾にも差異を生ずるものであるだけに、軽々に看過できないものである。

二、右のように二様の判決謄本が交付された経緯について考察するのに、本件記録殊に弁護人木下準一、同弁護人事務所事務員小林裕子それぞれ作成の各報告書等によれば次の事実が認められる。第一審判決は昭和五六年一二月一五日言渡されたものであるが、翌五七年一月一一日右小林事務員は第一審裁判所である大阪地方裁判所第五刑事部において判決謄本を受領した。ところが同年一月一六、七日頃右第五刑事部より木下弁護人事務所宛判決を訂正したいので判決謄本を持参されたいという連絡があつたが、判決の訂正は上訴によりなさるべきであるという木下弁護人の考えによりこれに応じなかつた。弁護人は交付された右判決謄本には、先に述べたように法令の適用欄に刑法一四条が記載され同法四七条但書の記載を欠くものであつたが、第一審裁判所は弁護人に右判決謄本を交付して後法令の適用の誤りに気づかれてか、その点を訂正すべく木下弁護人事務所に判決謄本の持参方を要請されたものと推認されるが、その後いかなる経過か正確には分らないが、弁護人に交付された判決謄本どおりであつた判決原本の法令適用欄の記載中刑法一四条が削除され同法四七条但書が加入され、検察官に対しては右削除加入がされた判決謄本が交付されたか、あるいは検察官は訂正に応じられたかいずれにせよ現時点における第一審判決原本は検察官に交付された判決謄本どおりのものである。

右の経過に、第一審判決原本の法令適用欄にタイプ文字で弁護人に交付された判決謄本どおりの記載がなされているが、刑法一四条の文字が棒線で削除されその横に黒のペン書の文字で四七条但書と書き加えられた上、加削箇所に裁判官の訂正印が押されている事実を併せ考えると、第一審裁判所はタイプ文字どおりの判決原本を作成しこれに基いて第一審弁護人に判決謄本を交付して後、併合罪加重の法令適用の誤りに気づき、その訂正を試みるべく木下弁護人に判決謄本の持参を求めたが拒否されたに拘らず、その後第一審裁判所の責任において第一審弁護人、被告人の同意を得ることなく判決原本に右述のような削除加入の訂正を加えたことは明らかである。

三、第一審裁判所の第一審判決原本に加えた削除訂正が右のような経過を経てのものであつた限り、右削除訂正は法律上も慣行上も許されないものであることは明らかで、第一審裁判所としては弁護人に判決謄本を交付して後法令の適用の誤りに気づいたとしても、その訂正変更は上訴審の判断に俟つべきであつたというべきであろう。

刑事裁判における判決は、公判廷において宣告によりこれを告知する(刑事訴訟法三四二条)ことにより外部的にも判決として成立することは、確定的な通説、判例というべきである。さらに刑事裁判の判決は、上告審の判決を除き(刑事訴訟法四一五条ないし四一七条参照)宣告後は訂正を許さないものであることは明らかであり、宣告した以上当該裁判所によつてもその内容そのものの変更は許されないものである。(第一、冒頭に挙示した最高裁第一小法廷判決参照)

第一審裁判所は昭和五六年一二月一五日公判廷において判決を宣告したものであるところ、宣告期日において法令の適用についてどの程度の説示をするかは裁判所の裁量により差異があり、殊に刑法総則規定の説示についてはその詳細を省略される実務慣行もあり、本件の場合も木下弁護人作成の報告書によれば法令の適用については右慣行に従つたものと認められる。そうであるとすれば本件の場合第一審裁判所の判決の法令適用については、それが判決書に記載され外部に明らかにされたときにおいて、そのとおり公判廷において宣告されたものとみなすより外ない。すなわち本件の場合第一審裁判所は弁護人に交付した判決謄本どおり法令適用について公判廷において宣告したこととなり、第一審裁判所の判決の法令適用欄中有効なのは第一審判決原本(現時点での)中タイプ文字で記載してある部分であり、その他の削除加入部分すなわち変更された部分は明らかに無効というべきであろう。

第一審裁判所として、一応合議の上内部的に法令適用についての合意が成立し判決書が作成されてからでも、これを検察官、弁護人らに明らかにする前に誤りに気づいて合議をやり直しさらに判決書を訂正することは、宣告期日の法廷においてその点の詳細な説示宣告がなされていない限り有効であつたであろう。さらに内容の変更に至らない単なる誤字、字句の訂正程度のことなら許容される場合のあることを否定しないが、本件の場合は法令適用の正否にかかわり、かつ処断刑の巾に差を生ずる併合罪加重の刑法総則規定の問題であり、正に当弁護人らも弁護人に交付された判決謄本の記載を文字どおり有効なものとして控訴趣意第一点を主張していたところである。第一審裁判所の判決原本に加えた変更は、判決に影響を及ぼす重大な変更であり、このような変更を法令や許された慣行を逸脱してなすことは断じて許さるべきことではない。その点でその点について明らかに無効と断定しなかつた原判決は、法令の解釈適用を誤つたものといわざるを得ない。

裁判、裁判所にとつて公正はその生命であり、憲法三一条においてもそのことを宣明している。裁判官、裁判所も過ちに気づいたならばこれを正すにはばかりがあつてはならず、殊に訴訟指揮等においてある方針を採り続けて来たが、熟慮反省の結果誤りであつたと判断した場合、固執しないで従来の態度を改めることにこそ裁判所の公正が保たれることもあるが、本件の第一審裁判所のごとく刑事訴訟法等法令、慣行の許容しない方法で判決原本を訂正変更し、検察官と弁護人に交付して判決謄本に相違を招いたような誠に稀有な事態を生ぜしめることは、ひいては裁判、裁判所の公正に対する関係者、国民の信頼を失わしめるものであつて、原裁判所もこの点についてはその黒白を明らかにし、右観点からも第一審判決を破棄すべきであつたと思料する。

第二、原判決は、本件における覚せい剤取締法上の営利目的による覚せい剤輸入罪と関税法上の覚せい剤の無許可輸入未遂罪との罪数関係について、弁護人の主張を容れて正当にも観念的競合と判断した。この点について検察官から判例違反として上告の申立がなされた趣であるが、弁護人としては、原判決が右両罪の関係を観念的競合の関係にあると判断した以上、さらに竿頭一歩を進めて覚せい剤取締法上の覚せい剤輸入罪についても未遂と認めるのが極めて自然でもあり相当であつたと思料する。その理由については詳しく次に述べるが、覚せい剤取締法上の覚せい剤輸入罪について未遂の成立を認めなかつた点において原判決には判決に影響を及ぼすべき法令適用の誤りがあり、破棄しなければ著しく正義に反すると認めるので、この点でも原判決の破棄を求める。

一、関税法上の輸入については同法二条一項一号に同法上の輸入の意義を定義していることもあつて、同法一〇九条、一一一条等の輸入罪の既遂時期について、税関、保税地域を経由しない場合は本邦に陸揚することにより既遂となるが、税関、保税地域を経由する場合は税関を通過した時既遂となるというのが通説、判例である。

他方覚せい剤取締法上の覚せい剤輸入罪については、関税法上の輸入罪と異なり、税関を通過する場合であると否とを問わず一律に本邦に陸揚することにより既遂となると解するのが、従来の通説、判例である。

二、税関を通過する場合の関税法上の輸入罪と覚せい剤取締法上の輸入罪と、その既遂時期を一で述べたように異別に考える合理的理由については、通説、判例ともこれを明らかにしているとはいえない。覚せい剤取締法上の輸入の規制も、保健衛生上有害な覚せい剤の本邦における自由な流通を防止することにあると思料されるので、税関の厳重な実力管理、監視を突破して税関の管理を離れたときに、はじめて覚せい剤の自由な流通も可能になることに鑑み、その時をもつて覚せい剤取締法上の輸入罪の既遂時期とみる方が立法の趣旨からしても妥当であり、またそう解したからといつて、覚せい剤取締法の運営にいささかの障害を与えるものではない。関税法上の輸入罪と覚せい剤取締法上の輸入罪について、税関を通過する場合にはその既遂時期を同一に税関を突破した時と解する方が、より合目的々で自然であると思料する。

三、前記両罪の罪数処理の問題と既遂時期の問題とは一応理論上は別問題であるが、従来の判例の大勢によれば、両罪の関係を併合罪とみる根拠として両罪の既遂時期の異なることを挙げているものが多い。そうであるとすれば、両罪の関係を観念的競合と解する限り、その既遂時期についても先に二、で述べたとおり税関を突破した時と同一に解する方がより自然で相当である。

弁護人の右二、三の主張については、取締りの掌にあたられる土本武司検察官(警察研究四九巻二号「密輸入をめぐる法律問題」)、亀山継夫法務省刑事局参事官(研修三〇八号「覚せい剤の密輸入と関税法違反」)両氏の論説参照。右両氏の所説は取締りの立場を十分ふまえた上でのことであろう。

四、原判決は前記両罪の関係については正当にこれを観念的競合の関係にあるとしながら、その説示においては(原判決四枚目表裏)構成要件的にみれば覚せい剤取締法上の輸入罪は被告人らが空路大阪国際空港に到着した時既遂に達し、以後関税法違反の実行の着手があり未遂に終つたものと評価しており、原判決の右説示によれば、原裁判所は構成要件的にみる限り両罪は全く重なり合うことがないように解しているようである。原判決も挙示する昭和四九年五月二九日の一連の最高裁大法廷判決により、観念的競合にあたる場合は法的評価をはなれ構成要件的観点を捨象した観点から評価すべきであるということではあるとしても、観念的競合にあたるかどうかの判断は法的判断であるから、構成要件的に重なり合う部分が多い程観念的競合に親しみやすいといえよう。そのような観点からすると、確かに関税法違反の実行々為の中心的行為は本邦到着後大阪空港内での行為にあるとしても、原判決の右説示中関税法違反の実行の着手を被告人が大阪空港に到着して後に限定して解していることは、狭きに過ぎ、被告人が韓国釜山空港から航空機に搭乗した時から着手があるとみるのが相当であろう。そうみることによつて、原判決が前記両罪の関係を観念的競合と解したことが強く裏づけられると同時に、税関を通過する覚せい剤取締法上の輸入罪の既遂時期も関税線を突破した時とみることの方がより自然でかつ合理的であることの裏づけともなると思料する。

これを要するに、前記両罪の関係は構成要件的にみても法的評価をはなれた自然的観察の下でも完全に重なり合い、ただ両法の立法趣旨の異なるところから両罪の成立をみるに過ぎないと認めるのを相当と思料するので、原判決が覚せい剤取締法上の輸入罪につき未遂を認めなかつたのは、法令の解釈適用を誤つたものというべきである。

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